待ちに待った給料日。久しぶりに潤った財布を握り締め、リッドは二週間前に新しくオープンしたパン屋に立っていた。
工事現場のバイトの休憩時間に仕事着のまま来たものだから、少し浮いてしまっている。しかしそんなことは歯牙にもかけず、うきうきと焼きたてのパンをトレイに乗せていく。惣菜パンを中心に、四つほど選んだところで声を掛けられた。
「汚すなよ」
振り返ると、白い調理用の服を来た青年が立っていた。白い髪は無造作に跳ね、深い海の底のような瞳は不機嫌そうに歪められている。
視線の先はリッドの作業着で、衛生面を気にしているのは明らかだった。
「あ、わりいな。一応ホコリとかは払ってあんだけど」
「……ならいい」
そう言って青年は、持っていたトレイから手の平大の小さなバスケットをパンの横に置いていく。試食のようだ。
「バイト大変なんだな」
昼時を過ぎた時間だからか、店内に他の客はない。青年はついでといった感じで二、三個そのバスケットからパンをつまんでリッドのトレイに乗せた。
「そこの通りの舗装工事だろ」
きょとんとしていたのに気付いたのか、青年が店の窓から斜向かいを指差す。確かにリッドの職場であるが、何故分かったのだろう。その一本向こう側の道路でも、下水道工事が行われていたはずだ。
青年は四つの試食用のパンが入ったバスケットをそれぞれ並べ、また少しずつパンをそこから取ってはリッドのトレイに落としていく。
「こんなにもらっていいのか?」
「構わないさ。どうせこの時間はあまり客も来ないし」
「そっか。へへっ、ラッキー」
先ほどの疑問なんて忘れて、早速、ピザの切れ端を一つつまんでみると、あまりの美味しさについ声をあげてしまった。そして迷わずトングでそのピザをトレイに乗せる。
既にトレイはパンでいっぱいで、見兼ねた青年がトレイを取り上げてカウンターに置いた。
「ここで預かっておく」
「お、サンキュー。どれも美味そうだから、迷うっちまうなあ。一日で給料使い過ぎるわけにもいかねえし」
そろそろ限界を訴える胃袋を摩って、パンを絞っていく。あと三、四個も買えば十分だろう。
「全部自腹なのか? 割り勘とかにすればいいだろ」
「誰と割り勘すんだ?」
元々寄っていた眉間のシワが更に深くなった。少しの間、逡巡したあとで、青年は恐る恐る切り出した。
「……職場で分けるんじゃないのか?」
「俺一人で食うけど」
「これで、一食分?」
「足りないくらいだぜ?」
言葉を失ったようだ。
「いやあここが出来てからすげー食べたかったんだけどよ、やあっと給料出たから買いに来たんだ。だから弁当いつもよりちょっと少なくしてきたんだぜ」
「更に弁当も食べるのか?!」
驚きに目を真ん丸にした青年は、それまでの寄る者を拒むような雰囲気とは違って、年相応に見えた。
リッドも土木作業に従事している割には細い方だが、彼はそれ以上に細く、力を入れれば折れてしまいそうだ。
見るからに食の細そうな青年からしたら、リッドの食欲が信じられないのだろう。
「朝から晩まで動いてっからなあ。これだけ食っても終わるころには腹ぺこだぜ」
「……お前、出費のほとんど食費だろ」
「そーなんだよ。バイトしなきゃ腹一杯食えねえんだ」
パンを選び終えてレジに向かうと、青年は淀みなく値段を打ち込んでいく。金額丁度を支払い、丁寧に素早くパンを詰める手をなんともなしに見詰めていた。
「いつごろ工事終わるんだ?」
「んー、あと三、四日で終わるんじゃねえかな」
「そうか――頑張れよ」
「おう。……あ」
差し出された袋を受け取ろうとして、ふと思い出した。
「なんで俺の現場知ってたんだ?」
盛大に眉を寄せ、顔を背けられた。
そんなに気に障ることだっただろうか。謝ろうとして口を開いたとき、青年が溜息を一つついて向き直った。
「同じくらいの年頃の奴が毎日毎日店の前通る度に窓に張り付いてパン見てたら気になるだろ」
仏頂面なのに少しだけ頬を赤くして、唇を尖らせて呟いた青年が、かわいいなんて。
釣られてリッドの頬まで赤くなって、数秒後に別の客が来るまで、この妙な雰囲気は続いたのだった。
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こんな素敵企画に参加できて幸せです!
みんなでセネルを愛でていきましょう。
主催のみなさま、ありがとうございます!